今日は小ネタです。
サン・ハウスが60年代に再発見されて後、あるブルース・フェスティヴァルでハウリン・ウルフと再会しました。
ハウリン・ウルフはその頃はシカゴでマディ・ウォーターズとライバル心、てかほとんど敵愾心に近い激しい感情をむき出しにして激しくシノギを削っておった。
つまり「シカゴ・ブルースのボスだオレだ!」と、互いに譲らなかったんですね。
そんなシカゴの2大巨頭も、ミシシッピ・デルタの大先輩、サン・ハウスから見れば「オレやチャーリー(パットン)に憧れて、よく演奏を聴きに来ていたカワイイ小僧共」です。
何十年ぶりかの大師匠との再会に、ウルフはやや緊張しておりました。
サンは微笑みながらウルフのすぐ側に行き
「なぁ、オレたちが夢中で追っかけてたあの双子のべっぴん達ァ、今頃どうしてるかな?」
と、声をかけたそうです。
いきなりの大先輩のこの発言に、ウルフはもちろん上機嫌になって、その場はとても和やかな雰囲気になったとか・・・。
何とまぁブルースマンらしい、カッコイイ再会でしょう(!)
ロバート・ジョンソンは、故郷ミシシッピ州ヘイズルハーストを飛び出して数年間、アイク・ジナマン(アイク・ジナナン)という人物にギターを教わったとされています。
通説では、「ロバートとアイクは、夜な夜なある墓地でギターの練習をしていた」と云われていました。
流石にそんな出来すぎたシチュエーション(!)と思ってたのですが、どうやらこれは本当の話のようです。
日暮泰文著「RL─ロバート・ジョンスンを読む アメリカ南部が生んだブルース超人」(P-VINE)という本では何と、追跡調査の結果「ロバート・ジョンソンがアイク・ジナナンと一緒に練習をしていた墓地」までが特定されています(この本の中で最大のクライマックスです、ブルースファンは読むべし!)。
ところでこのアイク・ジナマンという人物、実は正体不明です。
ロバート・ジョンソンのCD「コンプリート・レコーディングス」の中に、白黒の写真が一枚あるだけで、いろいろ調べても「アラバマ州グレイディ出身のブルースマン」という情報しか出てきません。
「凄い人の師匠が凄い人だった」というのは、どの世界にもよくある話ですが、やっぱりたったの数年(2年ほど)で、「その辺のヘタクソなギター弾きだったロバート・ジョンソン」を、当時のデルタ地域のトップ・ミュージシャンをして驚愕せしめたというほどですから、その腕前は相当なものだったと思うのですが・・・。ジナマンの録音物は残っておりませんし、リサーチャー達の懸命な捜索にも関わらず、音源が残された痕跡すら発見されておりません(録音自体やってなかったんでしょう)。
ということはですよ
「アイク・ジナナンとは一体何だったのか?」
という永遠の問いが、「ロバート・ジョンソンの並外れた聴力」の謎と共に、戦前ブルースの深い闇の中で未来永劫グルグルと回りつづけることになるのです。
それプラス
「録音物が残ってないけど凄かったブルースマン」って、相当数いたんだろうな・・・。
ということに想いを馳せずにはおれなくなります。
う~ん・・・
戦前ブルースはやはり深い闇です。
戦前ブルースを聴くにあたって、誰もがロバート・ジョンソンの数々の「伝説」に触れるでしょう。
いわく
「クロスロードで悪魔と取引をして抜群のギター・テクニックを手に入れた」
と。
まぁ「伝説」です。本当かどうかは誰にも分かりません。
ですが、彼がサン・ハウスを夢中で追っかけてヘタクソなギターを弾いて顰蹙を買い
「失せやがれこのヘタクソなガキめ!」
と言われてからたった数年で驚くべきギターテクニックを身に付け、サン・ハウスをして
「何てこった、アイツは誰よりも速くいっちまいやがった」
と驚嘆されたことは紛れもない事実として、記録に残っております。
そう、確かにロバート・ジョンソンは「たった数年」でギターが別人のように上手くなったんです。
しかもそのスタイルは、ミシシッピ・デルタ特有の、激しく弦を叩いて煽るようなそれだけではなく、どちらかといえば当時流行していたシティ・ブルースのピアノ奏者達の奏法をギターに置き換えたような、どっちかといえば「ミシシッピらしからぬお洒落で洗練されたスタイル」でした。
ジョニー・シャインズら、ロバート・ジョンソンと一緒に旅をしたことのある関係者の証言では「一度聴いた曲は何でもすぐギターで再現することが出来たんだ。しかも、レコードが鳴っている間中、こっちとお喋りしてたにも関わらずだ」と、その驚異的な聴覚がしばし語られています。
ロバートは一体どこでそんな技術を身に付けたのでしょう?
謎が謎を呼びますね・・・。